11. 不確定には触れられない 前編




 それから丸二日以上をかけて、バンはアバディンの街を駆け回った。エレインが透明になっていくのを、食い止める方法を探して、街中の医者や魔術師、骨董屋から占い師まで片っ端から聞き込みに走った。その間は、大好きなスリルもエールも全て無視した。バンは、自分の持つすべての時間と情熱を消え行く彼女に捧げていた。
 しかし、彼の熱意は空回る。
 ここに透明になっていく妖精の少女がいる。彼女を助けてくれ。バンの叫びは人々を遠ざけた。彼にしか見えない誰かがそこにいるかもしれない。そんな前提でバンの話に耳を傾けてくれる変人は、セリオンと別れた今、そうやすやすと見つけられるはずがなかったのだ。
「冷やかしなら帰っとくれ」
「まぁまぁ、お若いの、落ち着いて。この壷にでもお願いしてご覧。銀貨1枚でどうだい?」
「きっと恋人を亡くしてイカれたんだよ。かわいそうに」
 人々から向けられる冷ややかな視線に、初めてバンは恐怖を覚えた。自分の声が届かない。慣れっこだったはずのことがエレインをますますこの世から消してしまうようで、バンはやるせなさにたまらなくなった。彼女の危機に、今日までバンが頼みにしてきた盗みの技や「強奪」(スナッチ)の魔力はあまりにも無力だと思い知らされる。
「どうすりゃいい? さっぱりだ」
 そもそもエレインがなぜ肉体を持たないのかがわからない。彼女が半透明なのは、すでに死んでいるせいなのか、それとも何らかの事情で魂が肉体から飛び出てしまった状態なのか、はたまた彼女は本当に彼女自身なのか。本人とは離れた場所に現れる残留思念と呼ばれる存在を、バンは耳にしたことがあった。
 彼女が彼女でない。自分でした想像に、バンの背筋をぞっとするものが駆け上がった。
 エレインの不確定要素は、バンに、何から手をつけていいのかわからなくさせた。考えうる心当たりには全て当たった。それらが徒労に終わってしまった今でも、うじうじと考えている暇があれば、次の行動を起こしたい。それなのに、とっかかりのなさに途方に暮れている。
 成すすべもなく、一日、二日と時間ばかりが過ぎていく。その間にも、エレインの透明化は急速に進んだ。いくら透けているといっても、出会った頃は彼女がどこにいようとバンには見つけ出せたのだ。それが今となっては、じっと目を凝らして見なければ彼女の姿を捉えられない。
「バンの言うとおり、私って幽霊だったのかしら」
 頭を抱えるバンの傍に、エレインは寄り添った。エレインの透明化が顕著になってからというもの、バンは彼女がなるべく近くにいることを望んだ。彼女の気配が感じられなくなることを、バンはひどく恐れているからだ。そうした彼の怯えが、エレインをこっそりと喜ばせていることを彼は知らない。
「死んだ実感なんてまるでなかったけど、突然の死ってそういうものかもしれないわね」
 エレインがすでにその命を終えているとして、彼女がこの世に留まる理由は何だろう。やはり、この世界のどこかに未練を残しているからか。
 彼女に未練があったとすれば、いなくなった兄のこと以外に考えられない。その兄が彼女の元を去ったのは、仲間を救うためだった。その仲間の誰かの羽が、あのロクサヌの館の羽だとしたら。兄の助けを待つ羽の想いが、兄の帰還を願うエレインの魂を引寄せた。だからエレインは、あの夜にロクサヌの館に降り立ったのかもしれない。
 その羽は、バンの手によって水に帰された。仲間を救う役目を果たした、エレインは死者として行くべきところに向かうのだろう。
「強引だけど、そう思えば筋が通るわ」
「通んねぇよ」
 不機嫌なバンの声がエレインを遮る。一番最初に彼女を幽霊と決め付けたくせに、いざそれが認めざるを得ないことなると彼は否定した。ムキになった態度が、バンが彼女と別れがたく思っていることの証のようで、エレインはこっそりと頬を染めた。
「俺から離れられねぇ理由になんねぇだろ」
「バンが妖精に親切な人間だから、じゃダメかしら」
「あのなぁ」
 バンはあきれて首を振った。妖精になら誰にでも親切なわけじゃない、そもそも人間にだってだれかれ構わず優しくするタチでもないとバンは否定を重ねた。
 透けていて良かった。エレインは密かに思う。もし透明でなかったら、コケモモみたいに赤くなった頬をバンに気づかれてしまう。自分がバンの優しさに値する特別な存在なのだと教えられて、ないはずの肉体の、胸のあたりがドキドキと騒がしかった。
 このところ、ずっとそうだった。
 バンを見ていると、エレインの胸が痛んだ。薄くなったエレインを探して、彼の紅い視線が彷徨うのを見るとうれしくなった。そうして彼の瞳に映り、険の際立つ彼の表情が幼さを取り戻すと、ふわりと気持ちが高揚する。バンが求め、エレインが応える。二人の気持ちは今、しっかりと向き合っていた。
 互いの過去を打ち明けあったあの日から今日まで、バンはエレインのために寝食も忘れて聞き込みに回っている。その姿に、申し訳ない気持ちのほかに、どうしようもない喜びがエレインの小さな胸を満たすのだった。
「お前は死んでなんかいねぇよ」
 今だってそうだ。エレインがすでにこの世のものではないことを、バンは認めようとしない。彼女に死なれていては困るのだと、彼が思う心の底に流れるものをエレインは知りたかった。自分が彼に向けるこのあたたかなものと、少しでも似通ったものであればいいと願っていた。
「お前の体は妖精王の森にあんだよ。なんかの手違いで、魂だけぽっと出てきちまって、そろそろ戻らなきゃなんねぇってだけだろ」
 だから心配するなと、勇気付けようとするバンのほうが、よほど不安そうだ。
「ちゃんと、戻れたらいいわね」
 アバディンから、北方の妖精王の森まで何マイルあるのか、エレインは知らない。こちらに来るときは、一瞬だった。森を留守にして、今日で7日目だ。森と泉はまだあるだろうか。そこに暮らす生き物たちは無事だろうか。
 本来であれば、何をおいても案じなければいけないことなのに、エレインの心はおざなりだ。森に帰れる可能性に期待するよりも、バンとの別離を想う苦しみのほうがずっと重い。どうにかして、彼とずっと一緒にいられる方法はないかと、詮無い考えをめぐらせずにはいられなかった。
 だから、エレインは次にバンからもたらされた提案に驚いた。
「今から、妖精王の森に行こうぜ」
 出会ったばかりの頃、同じ提案をエレインから投げつけられた彼は、けんもほろろに断っている。バンの口からこぼれた変化が、この7日間で二人が育んだものの証だ。エレインの魂が道に迷うことがないように、少しでも彼女の故郷の近くへ行こうとバンは言う。
「インヴァネスより北には、行ったことがないんでしょう? お金もないわ」
「んなもん、行ってみりゃなんとかなる。生命(いのち)の泉ってやつも拝んでみてぇしな」
 エレインとバンの立場が、出会った頃とまるで逆転している。そして、彼は本気のようだった。ジバゴに教わった伝説を、この目で確かめてみたいと、突然に(バンデット)モードになったバンからは、空元気が伺えた。口元を飾る笑みもどこか力ない。彼は、自分がやろうとしていることが無為に終わることを直感している。
 不安や恐れから懸命に奮い立とうとする彼に、エレインは首を振った。
「きっと間に合わないわ。嬉しいけど」
 すべてはエレインのためだとわかっている。だからこそ、エレインはあえてその誘いを拒むのだ。セリオンからの友情を、バンが拒んだことに倣って。
 エレインは自分の両手を広げてみる。彼女自身ももう、自分の手の形がほとんどわからなかった。どんなにもっても、明日にはバンの瞳から完全に消えている。今すぐそうならないのが不思議なくらい、今の彼女の存在は希薄だった。
「今日が最後よ」
「エレイン」
 バンに見えなくなっても、彼女の意識はバンの傍らに留まれるだろうか。それともすっかり消えてなくなってしまうのだろうか。この胸の淡いざわめきと共に。
 バンの言う通り妖精王の森に戻れるのだとしても、聖女たる彼女が二度と人間の街を訪れることはない。エレインの行く末がどうなろうと、バンとの別れは揺るがなかった。どうせすべてが消えてしまうのなら、たとえ残ったとしても二度と彼と同じ世界に交わることがないのなら、赦されたわずかな時間をエレインは大切にしたかった。
 エレインは笑った。彼の前で、彼の瞳に残るのは、自分で出来る精一杯の可愛い姿でありたかったから。
「いっぱい遊びましょう。どうでもいいこと、たくさんしましょう」
 バンに出会って、エレインはたくさんの冒険をした。盗みに、イカサマ、脱獄に至るまで。どれも決して良い事ではなかったけれど、いつだってエレインの胸は騒いでいた。700年の森での孤独にすっかり小さく硬くなっていた心が、バンの巻き起こす事件に油をさされ、生き生きと蘇った。
 そうして柔らかくなった心は、今、彼を求めて震えている。受け止めて、優しく撫でて欲しがっている。それだけで、十分だった。
「デートよ」
 スリリングな冒険でなくていい。穏やかな一日を、市場を歩いた朝のような時間を、彼と最後に過ごしたかった。妖精王の森に戻るにせよ、そうでないにせよ、バンと過ごすこのひとときだけは、ただの妖精の女の子に戻って無邪気にはしゃいでいたかった。
 エレインの案に、バンはしばし黙り込んだ。本当にそれで良いのか。他にまだ、何か方法があるんじゃないのか。諦めの悪いバンの迷いが、どれもこれも自分のためのようでエレインはやはり嬉しい。
「お願い。ね、バン」
 大切なことは、どこに行くかではない。どう過ごすかでもない。誰と一緒にいるかなのだ。
「わかった、行こうぜ」
 ようやく、バンはエレインに向かって手を差し出した。大きな手のひらに、エレインは輪郭も危うい小さな手を重ねた。
 


 盗みはダメと、エレインにはデートに臨んで真っ先に釘を刺された。使う金もないのにめぐる市場は娯楽として疑問だったけれど、エレインは二度目の市場に喜んでいた。
 初日の朝市に比べればずっと小さな市場に、エレインは不満げなこともなく、じっくりと品物を眺めては気になるものの仔細をバンに尋ねてくる。他人には見えないエレインに語りかける彼を、周囲は不審の眼差しで見るけれど、バンは気にも留めなかった。
 市場でのエレインは、とりわけ女性用のアクセサリーを扱う露店に気を惹かれたようだった。妖精の聖女でも、やはり女の子だなとバンは笑う。商人のいぶかしげな視線などなんのその、バンは彼女に似合う髪留めをあれでもないこれでもないと選んでやった。
「金がありゃなぁ」
 バンは心底嘆いた。腹がすいても、雨ざらしの野宿が続いても、ここまで無一文なことを悔やんだことはない。
「盗んじゃダメだからね」
「わーってるっての」
 人の目なんてどうでもいい。金がないこと、それ自体も。ただ髪留めのひとつも買ってやれない、買ったとしてもつけられない、自分たちの現状こそバンは悔しかった。
 市場を泣く泣く後にしてからは、アバディンの街をぐるりと周遊した。焼け落ちたばかりの監獄と、ロクサヌの屋敷の周辺には近寄らない。監獄の火事騒ぎで、おそらくバンは死んだものと思われている。うかつに近寄って、寝ている犬を起こすのは得策ではなかった。三日前に街を出た、セリオンは南へと向かっているはずだ。
「セリオンは無事かしら」
「無駄にくっちゃべって、油断してなけりゃ大丈夫だろ」
 人生のほんの一瞬にすれ違っただけのセリオンは、二人にとっては初めてできた共通の楽しい話題だ。バンとセリオンの一体どちらがより狐顔なのか、エレインが議論をふっかけてくる。バンは受けてたった。二人の言い合いはいつまでも終わらなかった。
 大きく街中を迂回しながら、バンとエレインは街外れへとたどり着く。デートの終着地は、人気のない丘の上。生い茂る緑の絨毯を、気持ちのいい風が撫でていた。



  表紙に戻る  


応援ボタンです。web拍手 by FC2
一言で良いから感想をください同盟

*Special Thanks*
原作1~19巻
ノベライズ『セブンデイズ』

                web用写真素材サイト/ミントBlue
 オリジナル小説・HP素材サイト/FOG.